久しぶりのPMF
たしか去年は行けなかったピクニックコンサート。毎年夏恒例のパシフィックミュージックフェスティバルの最終日。忘れもしない1990年、死ぬ直前のバーンスタインが来て、第1回目が行われた。天安門事件がなければ北京で行われるはずだったと言われているが、おかげで最初で最後の彼の指揮にも接することが出来たのだった。あのときはまだキタラはなく、今のニトリホール(当時の厚生年金会館)で、まだ10代だった後藤みどりとの共演(バーンスタイン自身の曲、セレナーデ)も聴いた(併演の、ものすごくテンポの遅いベートーヴェンの第7交響曲は、彼がアメリカに帰ってボストンで演奏した、同じような遅いテンポのライブが最後の録音になったんだが)けれど、まだ小学生だった子供たちも連れて行った最終日のピクニックコンサートの、最後に演奏されたシベリウスの第1交響曲の最後の楽章が、暮れなずむ夕空に消えてゆくときの充実感と寂寥感は、その後のバーンスタインの早すぎる死の衝撃と共に忘れられない思い出になっている。
ウィーンフィルのコンマス(ライナー・キュッヒル)が加わったモーツァルトのメヌエットを聴いたり、惑星のジュピターに付けた歌詞で会場に集まった人が一緒に歌ったり
今回のチャイコフスキーコンクールに優勝したばかりのピアニストが、急遽来日(さすがゲルギエフ、力ある!)して、人気曲のラフマニノフの第2協奏曲をやったり、
終演予定を30分もオーバーして終了。後半は暑さも和らぎ、芸術の森は少し山の中だからか、むしろ涼しすぎるくらいになったこともあって、最後のショスタコヴィッチの第10交響曲のときには、曲になじみのない、かなりの数の家族連れは帰ってしまったが、いい天気のいい夕暮れで、久しぶりに命の洗濯になった。
それにしても、他にもいろいろな催しものがあったせいなのか、臨時の駐車場として、はるか彼方の真駒内カントリークラブまで連れて行かれたのには驚いた。女子トイレが全く少ないとか、他人の迷惑を顧みず芝生の前方にレジャーテントを張るヤツが増えているとか、運営面には課題が多くなっているように感ずる。