長崎
8月9日である。これまで、どういうわけか九州に足を踏み入れたことがない。もちろん長崎にも。数日前、父(会長93歳)から、珍しく戦時の話を聞いた。
父は今でも立派な体格だが、徴兵されたときに、いわゆる甲種合格だったそうで、工兵として満洲へ行かされて、橋の爆破とかやらされたそうだ。運良く、多分敗戦近くなって本土へ戻され、紀州白浜に着き、父はそのとき教育要員として残ったそうだが、そこから部隊の大半は上陸用舟艇の要員として沖縄に向かい、全滅したそうだ。生き残る人とはそういうものなんだろうと思うが、終戦は水俣で迎えたそうだ。対岸が長崎である。
その日、聞いたこともない轟音がして、空に見たことのない色の雲が立ち上るのを見たという。長崎に落とされた原爆のキノコ雲を、だから父はその目で見たのだ。
70年が過ぎ、戦争の惨禍の記憶も、当事者以外からは薄れ、戦争に行きたくないという若者を揶揄するバカな議員まで出てきている今日。あらためて、いかなる形であれ、戦争につながる愚かな政策を志向する者たちを糾弾したい。