LIFE&MUSIC 桧山建設綜業 代表取締役 檜山良秀

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今年の仕事納めの日ですが

おかげさまで秋以降妙に忙しく、ブログに書きたいことは山ほどあったのですが、とうとう会社は仕事納めの日になりました。

かつてなかったことですが、いつもなら年末のご挨拶も兼ね、来年のカレンダーを携えて、お客様のお宅へ伺わせていただくのですが、今年は遂に一軒もまわることが出来ず、大変失礼してしまいました。

あらためて、今年お世話になった皆様に、一年の御礼を申し上げさせていただきたいと思います。

さて、今年あったことで、一番痛切に思ったことは、やはり、家は買うものではない!ということです。例のマンションの杭偽装問題でお解りのように、どういう過程で造られたか知りもせずに「家を買う」ということが、いかに危ういことであるか。

家は「建てる」ものだったはずです。

いつ頃からか、マンションから始まって、家を買うという言い方が広まり、戸建の建売住宅は言わずもがな、注文住宅と言いながら、多くのハウスメーカーは企画住宅を大量に「販売」して来たわけです。

洋服には完全オーダー、セミオーダー、出来合いの大量生産品があり、食べ物にも同じような分類が成り立つでしょう。

衣食住、それぞれ人が生きてゆく上で欠かせないものであり、生命の維持に直結する大切なものですが、住だけは消費材とは言い難いものです。

簡単に買い替えがきくものではない「住まい」。高耐久であって、健康を阻害せず、住んでからの経済的負担が少なくあるべき「住まい」に対して、「買う」という発想は、明らかに間違いだと思います。

なので、来年、自分としては、今更ながらですが、「家は買うもんじゃないよ!住む人と造る人が力を合わせて建てるものなんだよ!」キャンペーン?を張って行きたいと思っています。

2015年12月26日(土) 10:35

名店 絶品のビーフシチュー

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ひと月ほど前になりますが、北見紋別のレストランまで、評判のビーフシチュー食べたさに、わざわざ行って来たという話です。

失礼ながら、道北の小さな街に、40年近く、これだけ本格的な洋食を提供し続けている店があることを、最近まで知りませんでした。

縁あって、そこの息子さんから、ご両親の営むレストランでは、いまだにちゃんとしたドミグラスソースを、丁寧に作り続けていて、息子としてもビーフシチューは自慢できる、と聞かされれば、片道300キロ以上だろうが、それはもう何としても行って食べねば!でしょう。

海辺に近い通りに建つ、いかにも昭和レトロな外観と格調ある内装。ちょうど昼時だったこともあって、かなり広い店内なのに、まさかの!?満員。

こちらが無知だっただけのことで、近隣はおろか、東京の芸能界にも知られる店だったようです。

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20分ほど待ってようやく入店。厨房が客席フロアより一段低くなっているのは、お客様の顔を見やすいようにとのことです。

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まずは大好きなオニオングラタンスープやコーンポタージュから、怒涛の食欲全開の始まり。画一的なファミレスや郊外チェーン店のものとは比べるのも失礼な本物。

P1100721 これが噂のビーフシチュー。口の中でホロリと崩れるフィレと丹精込められたドミグラスソースは、想像を上回る、うっとりする美味さでした。

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肉汁溢れるハンバーグと、どうしても味見したくて、欲張って追加したハッシュドビーフライス。これがまた、いわゆるハヤシライスどころではない、本物の洋食屋ならではのもの。

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欲張りついでのデザート。プディングもシャーベットも当然手作りで、美味いの一言。最後まで納得の料理でした。

普段から特別なグルメでもなんでもないのですが、だから逆に、単純に美味いものは美味いと言える?かも。

簡単にお出かけくださいと言える店ではありませんが、おいしいものが好きな人はぜひ!

2015年9月24日(木) 20:05

このままで良いわけがない

無責任な政治が、姑息卑怯なやり口で戦火への道を開いてしまった。

例えばライオンズクラブでは、例会などの場で、政治と宗教の話は基本的にタブーとされている。ブログとはいえ、このようなある意味公式的なブログの場でも、勿論同じように扱われるものかもしれないが、今回の国会の無様な結果については、政治的話題とか言う以前に、国民の生命に関わることだと考えるので、明白な主張を掲げておきたい。

世代的に憲法9条の下に生まれ育ち生きてきた者として、自らのちっぽけな野望と誤った信念の下(まさにヒトラーに重なるとさえ思う)に、自国民を戦火の中に導こうとする者を、絶対に許すわけにはいかない。

のど元過ぎれば直に忘れてしまいがちな国民性だが、今度ばかりはそうさせてはならない。最終的には選挙という手段に委ねられるしても、それまでこの問題を忘れず許さず、あらゆる場と機会を通じて糾弾し、戦火へ開きかけてしまった扉を再び永久に閉ざすために、発言し行動しなければならない。

それが、まともな人間なら、次の世代に対する責任だからだ。

結果的にであれ強行採決に賛同した者には、到底個人としての人格も、まともな良識も無いのだから、そもそも議員としての資格などはない。彼らの名前と顔を絶対に忘れないことだ。

2015年9月20日(日) 16:20

見習いたい町 栗山

10日前になりますが、健康・省エネ住宅推進北海道協議会主催のセミナー第2弾を栗山町で開催しました。

P1100939 午後の開演前に町役場へ伺い、町長さんや役場の方たちと少しの時間懇談させていただいたのですが、この写真は役場の入口にあった、ゴミの分別回収箱。札幌よりもずっとキメ細かな分け方に感心させられましたし、町の顔ともいうべき役場の入口に、何の衒いもなく置かれているのが凄い。

P1100940 P1100942 役場の筋向いに、ケアラーのためのカフェというものがありました。元々町の施設だった建物を改装したようですが、雨模様にも関わらず多くの方が利用されていました。ケアラーというのは介護にあたる人のことで、要は在宅介護が増えて、介護する側にも息抜きや交流が必要であろうと設けられた場所で、町の社会福祉協議会が運営しており、営利目的ではないのでコーヒーや手作りケーキなど格安。奥の方では結構年配の方たちが麻雀に興じていたり。

バリアフリーという言葉が普及する前から町営住宅をバリアフリーで建てたり、独居老人の家の冷蔵庫に「いのちのバトン」なる、その人に万が一のときに必要な情報を書いた書類を保管するようにしてあるなど、先進的で画期的な試みを沢山行ってきたのが栗山という町です。

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会場が駅舎の中にある立派な講堂だったのにもビックリ。あいにく物凄い豪雨に見舞われた午後だったので、満員になるはずの会場に空席が多かったのは残念でしたが、今回は北大の羽山先生と先回に続いて東京から駆けつけてくれた星先生という、最強の二人が講師でした。建築界を代表して登壇してくれた羽山先生は、気温と冬に激増する循環器系などの疾患の関係に、建築学者として我が国で初めて取り組まれた方で、そのデータは我々の活動の原点のひとつになっています。

星先生は公衆衛生の医学者として、住環境が健康に重要な役割を果たしていることを良く承知された方ですから、この先、他で再現できるかどうか、なんとかこの最強のコンビでのセミナーを、できるだけ多くの人に聴いてもらいたいと強く思いました。

P1100956  終演後の、関係者記念写真

中央の白いシャツ姿の方が、町の社会福祉協議会事務局長の吉田さん。元役場の職員で、この方こそが、見習いたい町栗山を作ってきた中心人物であり、あらためて敬意を表する次第です。

2015年9月12日(土) 12:10

PPKとNNK

P1100897 先月末の土曜午後、札幌市のコンベンションセンターにて、健康・省エネ住宅推進北海道協議会主催の、セミナーを開催しました。

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ナマ放送のない日時だったので、牧会長がご挨拶出来ました。そのとき初めて首都大学東京(旧東京都立大学)名誉教授医学博士の星丹二先生にお会いしました。

ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、PPKとはピンピンコロリという意味で、要は平均寿命まで出来るだけ健康を保ち、介護や家族の手を煩わすことなくこの世からオサラバしましょうということで、星先生が広めた言葉です。

対するNNKは星先生の造語で、ネンネンコロリ。つまり長く寝込んでから亡くなることを表します。人としてどちらが幸せか言うまでもありませんが、長く国家レベルで医療に携わって来られた先生によれば、今の日本の医療には、あまりにも問題が多すぎるし、国民に知らされていないことも沢山あるということでした。

ここで具体的な内容の詳述はしませんが、多くの人にもっともっと聞いてもらいたい話でした。それよりも、先生の、真実を伝えたいという想いと、痛快な語り口に、すっかり魅了されてしまいました。めったに出会えない、人生の導師のような方でした。

檜山・北海道 043  檜山・北海道 045

セミナーの後少し時間があったので、ご自分でもクラリネットを吹くという先生が、我が家に立ち寄ったときのシャメを送ってくれました。先生本当にありがとうございました。

2015年9月8日(火) 19:33

長崎

8月9日である。これまで、どういうわけか九州に足を踏み入れたことがない。もちろん長崎にも。数日前、父(会長93歳)から、珍しく戦時の話を聞いた。

父は今でも立派な体格だが、徴兵されたときに、いわゆる甲種合格だったそうで、工兵として満洲へ行かされて、橋の爆破とかやらされたそうだ。運良く、多分敗戦近くなって本土へ戻され、紀州白浜に着き、父はそのとき教育要員として残ったそうだが、そこから部隊の大半は上陸用舟艇の要員として沖縄に向かい、全滅したそうだ。生き残る人とはそういうものなんだろうと思うが、終戦は水俣で迎えたそうだ。対岸が長崎である。

その日、聞いたこともない轟音がして、空に見たことのない色の雲が立ち上るのを見たという。長崎に落とされた原爆のキノコ雲を、だから父はその目で見たのだ。

70年が過ぎ、戦争の惨禍の記憶も、当事者以外からは薄れ、戦争に行きたくないという若者を揶揄するバカな議員まで出てきている今日。あらためて、いかなる形であれ、戦争につながる愚かな政策を志向する者たちを糾弾したい。

2015年8月9日(日) 12:40

久しぶりのPMF

たしか去年は行けなかったピクニックコンサート。毎年夏恒例のパシフィックミュージックフェスティバルの最終日。忘れもしない1990年、死ぬ直前のバーンスタインが来て、第1回目が行われた。天安門事件がなければ北京で行われるはずだったと言われているが、おかげで最初で最後の彼の指揮にも接することが出来たのだった。あのときはまだキタラはなく、今のニトリホール(当時の厚生年金会館)で、まだ10代だった後藤みどりとの共演(バーンスタイン自身の曲、セレナーデ)も聴いた(併演の、ものすごくテンポの遅いベートーヴェンの第7交響曲は、彼がアメリカに帰ってボストンで演奏した、同じような遅いテンポのライブが最後の録音になったんだが)けれど、まだ小学生だった子供たちも連れて行った最終日のピクニックコンサートの、最後に演奏されたシベリウスの第1交響曲の最後の楽章が、暮れなずむ夕空に消えてゆくときの充実感と寂寥感は、その後のバーンスタインの早すぎる死の衝撃と共に忘れられない思い出になっている。

P1100445 P1100446 ウィーンフィルのコンマス(ライナー・キュッヒル)が加わったモーツァルトのメヌエットを聴いたり、惑星のジュピターに付けた歌詞で会場に集まった人が一緒に歌ったり

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今回のチャイコフスキーコンクールに優勝したばかりのピアニストが、急遽来日(さすがゲルギエフ、力ある!)して、人気曲のラフマニノフの第2協奏曲をやったり、

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終演予定を30分もオーバーして終了。後半は暑さも和らぎ、芸術の森は少し山の中だからか、むしろ涼しすぎるくらいになったこともあって、最後のショスタコヴィッチの第10交響曲のときには、曲になじみのない、かなりの数の家族連れは帰ってしまったが、いい天気のいい夕暮れで、久しぶりに命の洗濯になった。

それにしても、他にもいろいろな催しものがあったせいなのか、臨時の駐車場として、はるか彼方の真駒内カントリークラブまで連れて行かれたのには驚いた。女子トイレが全く少ないとか、他人の迷惑を顧みず芝生の前方にレジャーテントを張るヤツが増えているとか、運営面には課題が多くなっているように感ずる。

2015年8月3日(月) 14:02

ファンサービス?

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ジュリは昨日6歳になりました。右の写真は、我が家に来た日の最初の写真です。いかにも不安そうな顔です。

2015年8月1日(土) 17:33

先週も今週も

イベント続きの土曜日

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18日お昼過ぎ、やって来ましたSTVラジオの中継クルー。ウェルピアあたりでは電波状態があまり良くないとかで、モデルハウスの玄関脇に簡易送信アンテナまで設置。さすがに村ラジオとは違って本格的。彼らが使っていたヘッドフォンが、昔MMカートリッジで一世を風靡した、アメリカのシュアー製だったのには驚き。

P1100215 日高晤郎さんとようへいさんとの、15分近い機関銃のような掛け合いに付き合うのは大変でしたが、何とかナマ放送を終えての記念撮影。通常の倍も時間をかけてくれたのは、これまでいろんなご縁のあったSTVラジオ関係者の方々のおかげです。ありがとうございました。この放送をきっかけに、モデルハウスを買ってくださる方が現れますように!

 

さて、昨日25日は、恒例のガレージセールでした。

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今年も招き犬のジュリ参加。今回はパナソニックスタッフが特別参加してくれての最新IHクッキングヒータ(近年の機能の向上には目を見張るものがあります)のデモ(と試食、ローストビーフまで作れる、当然食べた、旨かった)や、

P1100347 ワンコイン網戸貼り替えサービス(大盛況で、協力してくれたサッシ屋さんはヘトヘトになってましたが)、

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OBのお客様や関係者の方々から例年以上に集まったお値打ち雑貨や木材類が、おかげさまで、飛ぶように?売れました。天気予報は雨だったのですが、皆の日ごろの行いがいいせいか、開店の午前9時から、まさに店じまいの午後4時まで、曇天ながらとうとう雨に当たることもなく、

P1100361 一本残っていたくじ引きの一等賞も、最後の最後のお客様が見事に引き当て、万々歳で終了することができました。協力してくれたたくさんの方々、本当にありがとうございました!

2015年7月26日(日) 12:54

日高晤郎ショーに出ることになりました

先週、STVラジオのランラン号がウェルピアのモデルハウスに来てくれたのに続いて、今週末18日土曜日の午後1時過ぎの、「ようへいの千客万来」という番組コーナーに出ることになりました。また、モデルハウスからのナマ中継です。

日高晤郎ショーというのは、毎週土曜日朝から夕方までやっている、北海道民なら多分知らない人はいないくらいの人気?長寿番組です。パーソナリティの個性が強すぎるので、毀誉褒貶相半ばする番組ですけれど。個人的に今まで直接お会いしたことはないのですが、桧山建設でファースの家を建てられたお客様による「ヒヤマのファースの会」を、17年前に提唱して立ち上げてくれた現名誉会長の岩本さんは、実は日高晤郎というタレントを見出し、今日まで続くこの番組の生みの親です。岩本さんがSTVばかりでなく道内屈指のプロデューサーであることは業界では有名ですし、現役で担当していた時代には、番組の中に良く岩本さんの名前が出てきていたことを憶えている人もいるかもしれません。

当時、岩本さんとの新築の打ち合わせの際には、よく放送に関する興味深いお話を聞きました。今でもよく憶えているのは、日高晤郎を引き合いに出して、嫌う人が半分いても好きな人が半分いればいいんだ、と言い切っていたことです。誰にも好かれる番組を目指せば、それは某国営放送のようにつまらない番組にしかならないんだと。それは昔、岩本さんがアメリカの地方FM局をたくさん見て回ったときに得心したことだったようです。住まいづくりにも通ずるところがあることだと、妙に納得したものです。

18年前、縁あってその岩本さんのお宅を造らせていただいた後、ラジオ局関係者を招いた新築祝いには日高晤郎さんもみえたと聞いています。これまで接触する機会がなかったのが、むしろ不思議なくらいですが、さて、相手はプロ中のプロ。どんな展開になりますやら。

2015年7月14日(火) 17:02

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