LIFE&MUSIC 桧山建設綜業 代表取締役 檜山良秀

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出会いから20年

今週は、ファースの家をこしらえている道央の会社の、来週は北海道全体の会社のファース会の総会がある。目下、行きがかり上、両方の会長を務めさせていただいているが、いずれはもっと若手の方々に後を受け継いで行ってもらいたいと思っている。

まだ健康住宅とか電化住宅とかいう言葉さえ認知されていなかった20年以上前。ファース工法開発者の福地脩悦という、上磯町の工務店の社長である変人(奇人というべきか?)と出会い、半信半疑でファースの家に取り組んだのが平成6年のことであった。

最初の顧客は、当時まだ小学校に上がったかどうかくらいの男の子二人の4人家族で、当時そろそろ話題になってきていたアトピーの症状のようなものが出かかっている、若干健康状態に不安のある子供たちだった。

時を同じくして、偶然にも、ほぼ似たような家族構成で、ご主人同士が同じ会社の、デスクを連ねる同僚の方の住宅も、同じ新興住宅街の中に新築することになっていた。

で、前者のご主人に、家の中の空気をきれいに保つ新しい建て方があるけれども、こちらも初めてなので割安でやらせてみてほしいとお願いしてみたところ、OKしていただけたのだった。我が社のファースの家の第1号は、そうして平成6年の秋遅くに着工したのだった。

もう一軒のお宅は、ファース工法にかかる予算を組み込み車庫に回すことになり、住宅金融公庫の断熱基準に則ったグラスウール断熱、灯油セントラル暖房と第3種換気、LPGコンロのキッチンという、当時のオーソドックスな作り方であった。

さて、雪が降り積もる前に基礎工事と建て方を終え、お正月休みも済んだ厳寒期。内部造作に入った現場(吹付断熱工事のあと)を見に行ったときのこと。大工さんたちが、半袖のシャツ姿で働いているではないか!外は寒い。中は全然寒くない。そして大工の言うことにゃ「社長、これ、ホンモノかもしれないワ」。職人の常として、新しいものには大体抵抗を示すものなのだが、そう言ったのであった。

春に完成した建物を引き渡し、その年の暮れちかく。寒くなって来て、家の中の暖かさや空気環境はどんなものか、カレンダーと表面温度計を携えて伺ってみた。その家はリビングに8畳分の吹抜けのある40坪くらいの大きさの家だったが、そのリビングの床が20°C、吹抜けの天井も20°C、ダイニングの北面の壁も同じく20°Cだった。それは驚くべきこと、当時としては殆ど信じがたいことだった。

新たな技術、工法、商品、さまざまなものは玉石混交である。端から全面的に信用なるものではない。しかし、この結果で、自分もこの工法を信ずるに至ったのであった。

時々、お客様に話すこともある古い話ではあるが、これがファースの家に対する、私の原点である。

2015年5月19日(火) 15:06

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